自分の好きな日本酒と本格焼酎、児島ジーンズも売ってる変な酒屋です

明日高校の卒業式を迎える娘の事を考えていたら、震災で一番大変だったのは子供達だったのかもしれないって

 
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佐藤 浩一
1972年 福島県双葉郡浪江町生まれ 元々は父親が酒ディスカウントとしてやっていたお店を専門店に方向転換し、福島県いわき市平で自分の好きな日本酒と本格焼酎を販売する酒屋『酒のしのぶや』三代目店主です。酒屋ですが正規販売店として児島ジーンズも販売しています。小学校6年生から続けて柔道は参段。最近はソニーα6000で写真を撮るのが好きです。

 

 

 

明日は丸7年を迎える僕たちの生活が一変した3月11日。

何の因果か明日3月11日は娘の高校の卒業式です。

震災の日は息子が小6で娘は小5でした。

14時46分はまだ学校にいる時間で僕は迎えに行くこともできず、ちょうど車で買い物から戻ってきた奥さんに『そのまま迎えに行って』と伝え、頻繁に続く余震にお店が傾きなす術もなくただ見ているだけで、隣の家の瓦が雪崩のように落ちてきたり余震のたびに駅前の街灯が雨のようにグニャグニャ曲がって、倒れてこないか心配することしかできませんでした。

子供達を連れて帰って来た奥さんに聞いた話だと、子供達は大泣きしてうずくまっているしかなかったようで、学校で先生の指示で上履きのまま校庭に避難していたそうです。

震災の日は中学校の体育館が避難所になっていたので、ウチの家族とおばあちゃんと親戚と合計9人で集まってるいたんですが、当日の夜ご飯は小さいおにぎりが3個でした。

食べるものがなかったので本当にありがたいことだったんですけど、さすがに大人7人に子供2人でおにぎり3個は少な過ぎでしたね。

おばあちゃんに1個と子供達に1個ずつ渡し食べるように言ったんですけど、子供達の口からは『パパとママも食べてないんだから食べなよ』と口にすることはありませんでした。

もう7年も前の事ですけど今でもその時の子供達の気遣いが嬉しかったことを思い出して涙が出てきますね。

そして次の日には避難指示が出され体操着に上履きのまま避難することに。

震災4日後には横浜の姉の所に避難したんですけど、楽しいはずの従兄弟との遊びの中で言われた何気無い「訛ってるね」という一言で、話好きだった息子が一切話さなくなってしまいました。

甥っ子も全然悪気があって言ったわけではないんですけど、息子にしてみればショックだったのかもしれません。

その事もあり福島に帰る決心をしました。

二本松で知り合いの酒屋さんに拾ってもらい住む所と仕事を与えてもらって、僕たち大人は生活するために必死になって仕事をし、家族を守るために走り続けてましたけど、それは子供達も一緒だったんですよね。

息子は中学校に入る時に浪江の時の知り合いの子が数人いたし、柔道繋がりで知っている子もいたので比較的馴染むのも早かったんですけど、娘は小学校6年という一番楽しいであろう1年間を、誰も知り合いのいない小学校に一人通う事になり、辛かったんじゃないかなって思います。

言い訳になっちゃいますけど僕もその時は必死だったので娘のSOSに気づくのが遅くなってしまい、さらに辛い思いをさせてしまったなって娘に謝った事もありました。

娘は悪くないのにね…。

何もなければ5年間一緒だった仲の良い友達と一緒に卒業し、同じ中学校に通い普通に生活してたはずなのに。

そして娘が高校入学のタイミングで僕が自分の店に戻るためにいわき市に引っ越しました。

また娘は誰も知り合いのいない高校に一人で通うことに。

嫌だったんだろうなぁ。

何度も何度も『二本松に残りたい』と言われましたが、僕が自分の店に戻るためにいわき市に引っ越さなければいけなかったんです。

自分で震災を経験してみて思うのが一番の被害者は『親の都合によって振り回されてる子供達』なのかもしれないってことです。

震災になったからってのもありますけど、結局は子供達は親の都合によってあっちに行ったりこっちに行ったりと、自分の本意ではないのに連れ回されちゃうんですよね。

親としては着の身着のままで避難生活をしてきた家族を守るため、先が見えない不安を取り除いて生活をするために仕事をしているんですけど、だとしても子供達にとって友達と離れるのは辛かっただろうし、せっかくできた二本松の友達とまた離れなければならないのは本当に辛かったと思います。

子供達が高校を卒業するタイミングで自分の店に戻ろうかとも考えましたけど、親父の年齢のことや自分の店の事もあったので、そこは僕の判断で決めてしまったんです。

今考えてもどっちが良かったのかはわかりません。

震災後子供達を連れて福島県に戻ってきても良かったのか?

子供達の事を最優先して高校卒業まで待つべきだったのか?

子供達の事を最優先して僕が違う仕事をすれば良かったのか?

何が正解なのか僕もわかりません。

ただ生活するために生きていくために家族を守るために必死になって突っ走ってきたから、見えなくなってしまった大きな物もあったんじゃないのかって思う事もあります。

明日卒業式を迎える娘の事を考えていたら感慨深くなってきて、震災後からのことを思い出していました。

 

美佑へ

高校卒業おめでとう!

新しいステージに向かって歩き出そうとしてるお前は凄いと思う。

今まで沢山辛い思いをしてきた分、お前のこれからの人生は楽しいことが沢山あると思う。

人生は振り子と同じだって誰かが言ってた。

辛い思いをした分だけ反対に楽しい事が沢山ある。

そんな楽しい素敵な事を沢山経験して欲しいと思う。

生意気でイラッとする事もあるけど、それも全部ひっくるめて美佑だからな。

明日は泣かないようにがんばっからな!

 

 

 

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佐藤 浩一
1972年 福島県双葉郡浪江町生まれ 元々は父親が酒ディスカウントとしてやっていたお店を専門店に方向転換し、福島県いわき市平で自分の好きな日本酒と本格焼酎を販売する酒屋『酒のしのぶや』三代目店主です。酒屋ですが正規販売店として児島ジーンズも販売しています。小学校6年生から続けて柔道は参段。最近はソニーα6000で写真を撮るのが好きです。

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